『八女福島の町並み』江戸初期の町割りと昭和初期の風景が残る歴史地区
八女に「土橋市場」と言う戦後闇市の末裔ともいえるような、珍しい市場があると聞いて見に行って来たら、なんと八女って凄い規模で昔の古い町並みが残っている巨大な歴史地区の街だったのです。一歩足を踏み入れたなら、そこは昭和初期の姿を今に伝えるレトロな街並み。
町割りは桃山時代末期、建物は明治・大正・昭和初期。地方の片隅に、タイムカプセルみたいな町がありました。
八女福島のレトロな町並み
八女福島の町並み、東端に建つ福島八幡宮。まるでタイムスリップしたような……まんま昭和初期の街並みが今に残っている八女福島の町並み。その起こりは桃山時代末期、約四百年前の事。
関ヶ原の合戦で徳川方に付いた豊臣恩顧の武将「田中吉政」が、石田三成を捕らえた褒美として筑後一国を与えられ、この地に福島城を築城したことが始まり。田中氏による筑後支配は二代で終わり、福島城は廃城となったけれども、城下町はそのまま残って今に至っているのです。
福島八幡宮は福島城の南東角に位置していて、その脇には福島城の外堀が今も残っている。ていうか、堀跡は各所に水路として残っているのだけれど、城の堀としての姿を留めているのはココだけ。
神社の鳥居を出ると、いきなり古い町屋が立ち並ぶレトロなストリートが始まる。
どうですかこれ、時代劇のセットみたいな街並み。いわゆる下町ですね、街道沿いの御城下町が今もここに残っているのです。
とっても古い看板、日用雑貨を扱う卸業者さんのようです。
いや、ほんとね、無理に整備されたレトロな街道筋じゃなくて、ほんと、そのまんまリアルなレトロ空間なんですよ。
昔のまんま、今も現役。すごくモダンな建物から、文明開化の音がしてきます。
表だけ洋風のモダンな建物で、中は和風の長屋。見事な和洋折衷、この丸窓がすんごくお洒落ですよね。
この建物の並びは無いよ、他に。これを見るためだけでも来る価値がありそうな見事な一角。道路をアスファルトじゃない土を固めた道にして、電柱を撤去したらまんま戦前の街並みになりそう。
これも古そうな建物、現在補修作業中なのかな。
このかまぼこ屋さんも現役だ、かなり古そう。
ここが城下町の街道、メインストリート。すごいね、古い商家の殆どが現役です。
綺麗に手入れされている建物。ここは古い町屋を利用して、地元の福祉施設が運営する手作りパンと雑貨のお店。
八女の特産、提灯屋さんの見事な建物。
堺屋という立派なお屋敷があったのだけど、この日はお休みでした。
こういう街道沿いの商家は間口が狭い事が多いのだけど、この建物は間口を大きく取った立派な店構え。福島酒造と書いてあるので、酒蔵ですね。江戸後期頃から営業しているそうです。
隣の建物が解体されて、切断面をレンガで補強した建物。戦後だとトタンで塞ぐんだけど、かなり古い時代に切り離されたのかな。
酒屋さん、看板が凄く立派です。
正面から見るとこの迫力、この看板、いつ作られた物なんでしょう。電話番号が4桁しかありませんよ。
ずっと東の八幡宮から西に向かって歩いていたのだけど、まだまだレトロな町並みが続いています。
2階は昭和初期、1階は戦後の高度経済成長期。いいよねぇ、こういう建物も。
これは何屋さんでしょ、存在感がハンパない。大迫力というか、すんごい豪華な建物がありました。
八幡宮からずっと旧街道を西へ歩いてきたのだけど、ここで北方向に曲がって見ると……すげぇ、隣筋もずっとこの町並みが続いてる!!
古い街並みですからね、こういうお寺が所々にあるのも風情があって最高なのです。
この三階建ても凄いね、いつ頃の建物なんだろう。あまり三階とか見かけないから、当時はハイカラな建物だったのでしょう。
この銭湯は営業している雰囲気が無いけれど……
和風建築の端っこに、洋室が設えてあるんでしょうか。大正時代の建物でよく見かけた気がするのだけれど、詳しい人に聞いてみたい。てか、中に入ってみたい。
八女市横町町屋交流館
とまあ、ぐるっと歩いていたら町屋交流館と言う建物がありました。
ここは中に入る事が出来るようになっていて、元酒蔵という建物が二棟あります。
いっぽうは中を見学できる見事な町屋。
もう一方はお土産屋さんになっていて、トイレもあります。福島の町並みを見学するときの拠点に良いかもしれません。
広々とした裏庭、ここで充電中の電気自動車はレンタカーとして貸し出しもしているそうです。
裏庭の脇に立つ蔵が見事、隣のレンガの建造物は何なのでしょうか。
お店のスタッフはとても親切な人で、質問したら色々と教えてくれます。今回は仕事の途中で立ち寄ったためにゆっくりお話を聞く余裕が無かったけど、次は休みの日に改めて行ってみようと思いました。出来れば、平日じゃなくて日曜が良いかもしれないね。
福島城本丸跡
八女福島の町並みから、少し歩いたところ。市役所の横にある八女公園が、福島城の本丸跡です。ちなみに市役所は二の丸。一段高くなっているところが櫓台。
福島城跡とかかれた石碑。天正十五年(1587年)と彫られていますけど、この年は豊臣秀吉の九州征討の年です。九州征討では筑紫広門がこの地を拝領していて、ここに支城を築いたと伝わります。
櫓台の頂上部の礎石。
内堀の跡でしょうか、筑紫氏の本城は山下、後に入った田中氏の本城は柳川。この福島城は市場ではあったのだけど、街道を抑える要地だけに立派なお城があったのでしょう。
櫓台のから東方向、正面に市役所など市の建物があります。ちょうど市役所周辺が二の丸でした。
これは凄い
古い建物が現役で使われていて、昔から続く会社だったり、お店やカフェになっていたりするんだよね。しかもこんな町並みが通り一本だけでなくこの一帯の区画全体に広がっている。歴史地区とか美観地区とか、保存地区とか、そういう場所にはけっこう足を運んだけれど、これだけ広範囲で普通に昔の街並みが残っている場所は見たことが無い。
僕が訪れたのは平日なので人通りはまばらだったけど、休日に行くとまた違った表情を見せてくれるんだろうね。仕事の合間の時間だったので店に立ち寄ることができなかったけど、今度は日曜日に行ってみよう。
場所情報


※この記事に書かれている情報は僕が訪れた時のものです、最新の情報ではなく、情報の正確性を保証するものではありません。最新の情報については、ご自身で確認することをおススメします。