『吉塚商店街』博多駅お隣「吉塚」にある昭和レトロな商店街、福岡市博多区

8年前に訪れたことがある商店街なんだけれども、久しぶりに来たら随分と雰囲気が変わっていて驚いた。当時はタイムスリップしたようなという言葉がピタリとあてはまるような、昭和のまま時間がとまったような空間だったけれど、あれから随分と激しく時が流れたみたいで驚いた。この商店街は、どこを目指しているのだろう。

吉塚商店街

前に来た時と、随分イメージが変わった商店街の入り口。綺麗になったよね、ほんと。

アーケードに入ってスグの左手、ずいぶんと綺麗になっていて驚いた。というか、リトルアジアという外国人街を作ろうとしているみたいですね。

銭湯の看板を残しつつ、ミャンマー料理店がオープンしていました。

吉塚商店街はこの交差点を中心に、十字にのびるアーケード街。この商店街の始まりがこの場所だったみたいで、昭和27年頃から本格的な市場となっていったらしい。始まりは昭和25年頃らしいけど。

交差点を左方向へ伸びるアーケード、こっちはまだ昭和の市場っぽい以前の面影を残してる。それでもオリエンタルなショップがいくつか出店してたけれど。

商店街といえばお茶屋さん、けっこう古いお店っぽい。

魚屋さんは本格的。僕が子供のころ、スーパーにも行くけど肉と魚だけは市場で買ってました。お魚を買って、鍋にするからとか、刺身用の柵にしておいてとか、魚屋さんでさばいてもらってましたね。

このお魚屋さんは、今まさに魚をさばいているところかな。

隣の筋まで突き抜けた市場、昭和の頃は商店街の中にこういう市場がありました。

人になれた猫様、カメラを向けられても全く動じません。

そのまま突き抜けたら、第2ブロックの端っこだったみたいです。

十字路まで戻って左折、最初に入ったところから真っ直ぐ方向へ歩いて行きます。ここの十字路付近は以前から変わりません、とってもいい雰囲気です。

このかまぼこ屋さんもいい味が出てますね。他にもお店があるけれど、けっこう新しい建物になっていたりします。

でまあ、真っ直ぐ突き抜けたらこんな場所に出ました。この道の狭さは戦後の闇市的に店が出始めた頃から変わってないそうです。

ここが第3ブロックだそうです。

また十字路まで戻って、さらに左。こっちのアーケードはかなり短い、第4ブロックです。

この十字路のお店も、前に来たときから変わってません。ノスタルジーが止まらなくなりそうなお店ですね。

この漬物屋の梅干しが美味しそう。おばあちゃんが漬けていた梅干しを思い出します。

戦前の通りそのままの露地に、昭和25年くらいから店が立ち始め、27年に十字路付近から本格的な市場になっていったという吉塚商店街。アーケードが完成したのは昭和32年とのこと。かなり古いタイプのアーケード商店街ですね。

空き地が目立ち始めてるけど、今後はアジア系の外国人街になっていくのでしょうか。リトルアジアという取り組みによって、アジア系のお店が増えて行っているようです。もっとたくさん店が集まって、広場に東南アジアみたいな屋台が出れば面白いかもしれませんね。

怪しげで活気があって、人々の目がギラギラしているカオスな市場の雰囲気。僕は嫌いじゃないです。

吉塚地蔵

豊臣秀吉の九州征討の際、秀吉軍を恐れた島津軍が撤退させるために先行してくる立花・毛利勢への抑えとして高鳥居城に籠った武将、星野吉実の首塚に建つ地蔵堂。筑後星野を本拠とした吉実は配下から撤退を具申されますが、一度も戦わずに引くのは武士の名折れと豊臣軍を迎え撃ち、手勢300もろとも玉砕しました。その戦いぶりはすさまじく、星野勢の放った鉄砲玉が敵将立花統虎(宗茂)の兜に当たったほどであったと伝えられています。

星野勢の奮戦に感服した立花宗茂は、星野吉実、吉兼兄弟の首実検をしたこの地に塚を立て、その塚は吉実塚とよばれました。やがて吉実塚がなまって吉塚となり、地名になったと伝えられています。

なお、吉実には長虎丸と熊虎丸の二人の男子がいて、幼児であったために家老が身代わりとして切腹。一命を許されて龍造寺政家に預けられ、佐賀鍋島藩士として仕えたとの事です。

吉塚商店街情報

 

周りにあった古い建物がずいぶん減って、二階建てや三階建ての真新しいアパートが狭い路地にひしめき合うように建ってました。いまならまだ昔の面影がそれなりに残っているので、見るなら今でしょう。

※この記事に書かれている情報は僕が訪れた時のものです、最新の情報ではなく、情報の正確性を保証するものではありません。最新の情報については、ご自身で確認することをおススメします。

>>吉塚商店街公式サイト

>>吉塚商店街(Googleマップ)

今回は、主に「商店街」にまつわる古くて懐かしい感じの風景をまとめました。

関連記事一覧