平和憲法と戦わない覚悟、日本の憲法九条が持つ戦争放棄の意味

戦争放棄とはどういうことか、戦争をしないということは可能なのか。そのためには戦争とは何かを定義しなければならないのだけれども、wikiによるとこうある「戦争とは、複数の国家、または集団の間での物理的暴力の行使を伴う紛争である」

戦争放棄は可能

戦争とは国や組織同士が暴力をもって戦う事。戦争は相手のいる事なので一方の意志だけでコントロールできるものじゃない気がするのだけれども、戦争を起こさないという一点において一方の意志だけで回避することは可能です。

つまり、学校で教えられた憲法九条の戦争放棄は日本の意志だけで可能なのです。

えっ!? けど、日本が戦争しないと言っても敵が攻めて来たらどうするんだよ!! もちろん、誰もが思う事ですよね。

その問いに対する答えは、攻めてきても戦わない事です。例えば中国が攻めて来たら、中国になればいいんです。日本という政府が無くなり、現在日本と呼ばれている島々を中華人民共和国政府が統治する。そうすると自動的に我々は中国人になります。けども、日本国はなくなっても国民は残る。ただし、国籍は中国となって。

ね、戦争放棄は出来るでしょ!?

戦争で守るのは国民ではなく政府

戦争放棄とは、つまるところ国を守らないということ。そして国とはいったい何をさしているかというと、統治している政府を指しているわけです。どの政府に国民として所属しているかで国籍が決まる。つまり、僕たちは日本政府に属しているから日本人なのです。

中国軍が日本にやってきて領有を宣言したとします。戦争を放棄すればそのまま日本政府の統治は終わり、日本国民は中国政府によって統治されることになります。つまり、国民の国籍は中国に代わるということ。そして日本国は消滅するか、あるいは、アメリカで亡命政府として残るのでしょう。

憲法九条の精神、僕たちが教えられた戦争放棄とはこういう事なのです。

じゃあ国が言う自衛権とは何か。

それは国民の身を守るというよりも、政府を守るということになるんです。日本国政府を守る事で日本という国がこの地に存在し、我々は日本国民で有り続けることが出来る。

じゃあ憲法九条の改正を拒み、戦争の放棄を声高に叫ぶ人たちは何者か。それは無抵抗主義者、いかなる暴力も受け入れ抵抗しない覚悟を持った人たち。まさに聖人といわれるくらい高尚な精神の持ち主。あるいは、日本以外の国を引き入れ、日本国政府を打倒しようとしている人たち。例えば、中国共産党の工作員や利用されている人たちであったり……

僕は戦争を放棄しない

僕はやはり自分が可愛いので、理不尽な暴力によって虐げられたくないし、痛い目に合いたくないし、酷い目に合わされたくない。出来れば日本国民として一生を終えたいし、言葉も通じないような侵略者に運命を委ねるなど恐ろしくてできない。

だから僕は戦争放棄には反対、不当な暴力に対抗できる国軍の整備と戦うための仕組みと決まりごとが必要だと考えます。つまり、憲法の改正を望むのです。

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